連載:MALDI法による最新微生物検査法

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連載:MALDI法による最新微生物検査法

新しい微生物の迅速同定法が飲料の品質管理を変える(記事引用:ビバリッジジャパン409号)
飲料ビジネスコンサルタント会社 株式会社ティーベイインターナショナル

■はじめに

 2002年,ノーベル化学賞を当時島津製作所の研究員であった田中耕一氏(以下,田中氏)が受賞した。企業の一研究員がノーベル賞を受賞したことで日本国中から驚きの声が上がったことがまだ記憶に新しいのではないだろうか。今,この技術は医療機関をはじめ,様々な業界において,その産業利用が本格化している。医療機関においては,2011年に厚生労働省により質量分析法を原理とした細菌同定法が認可され,大学病院を中心に80を超える施設で利用されている。
この質量分析法(以下で述べるMALDI-TOF/MS法)は簡便さと迅速性が最大の特長である。従来のバクテリアの遺伝子を解析する手法「16SリボソームRNA系統解析(以下,16S rRNA法,真核生物の場合は18SリボソームRNA系統解析)」による同定検査は,専門的な細胞遺伝子の知識が必要で,かつその作業はほぼ1日がかりであったのに比べ,さして専門的な知識も必要もなく,培地上のコロニーが爪楊枝の先に載るほど得られれば1検体あたり分析時間がわずか1~2分程度(コスト100~200円程度)で同定結果が得られる。そのため、将来的には飲料工場現場では微生物管理の有用な方法になるものと期待している。基本的には遺伝子解析とほぼ同程度か,菌種によってはより高い精度で微生物の同定が可能な点で画期的な方法である。もちろん微生物の検査や同定は,集菌→培養→同定といったプロセスを経て最終結果が得られるわけであり,同法は同定のプロセスにおいてのみ簡素化・短縮化されるものでしかないが,わずか数分で結果が得られるため,一刻を争う出荷判定時などでは特に有効な手段である。
ここ数年,この技術を食品や飲料の微生物検査に応用する傾向が高まっている。現状では分析機器が高価(3,000万円程度)なこともあって,大手飲料メーカーの研究室レベルにとどまっているが,1検体あたり数千円で分析を代行する企業もある。同法はすでにブランドオーナーの研究所レベルでは周知の技術であるが、飲料工場現場や飲料パッカーなどではあまり知られていない。本稿ではその原理やその活用方法についてわかりやすく解説することで,飲料業界においてこの方法が普及し,日々の飲料製造や微生物事故防止に役立つことを期待するものである。

※(図-1)シスメックスビオメリュー社からの提供

■MALDI-TOF/MSとは?

 「MALDI-TOF/MS法」とは,マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI:Matrix Assisted Laser Desorption Ionization)と飛行時間型(TOF:Time Of Flight)質量分析計(MS)の組み合わせにより,主として生体高分子の質量を決定する装置である。この装置は,分析試料にマトリックス(レーザー光を吸収する化合物)を混合し,数ナノ秒という短時間のレーザー光を照射することで分析試料をイオン化する。
このマトリックスの探索中の逸話は,田中氏の回顧録(失敗話)が有名である。1985年,田中氏はタンパク質をイオンの状態にする方法がないものか試行錯誤していた。タンパク質の重さを量るには,レーザーを用いて分子を一つずつイオン化して分析機器にかける必要があるが,タンパク質のような高分子は,レーザーの熱でバラバラに壊れやすく,イオン化するのが非常に困難であった。田中氏らの研究グループは「タンパク質のような高分子に何か特別な物質を混ぜてイオン化することで分子を保護できないものか」と考えた末,レーザーを吸収しやすい金属微粉末を混ぜればタンパク質の破壊がくい止められるのではないか,という結論に達した。
そうしたなか,別々の実験で使うつもりだったグリセリンとコバルトの微粉末を間違って混ぜてしまい,普通なら使いものにならない試料は捨ててしまうのだが,田中氏は「捨てるのはもったいない」と考え分析してみることにした。すると,溶液中の高分子がそのままイオンの状態になっていたのだ。
この発見により,研究は飛躍的に進展した。このマトリックス試薬は,タンパク質や糖質,オリゴヌクレオチド,脂質などの幅広い生体関連物質をほとんど分解せずにイオン化する特長をもっていた。TOF/MSは,この原理を利用してイオン化した試料を高電圧の電極間で加速し,高真空無電場領域のフライトチューブと呼ばれる管中へ導入して等速度飛行させ,軽いタンパク質(分子量が小さい)ほど早く質量分析計に到達することを利用してマススペクトルを作成する。結果的に高分子の分析に適した分析法となった。



※(図-2・3・4)シスメックスビオメリュー社からの提供

■なぜ,微生物の同定に応用できるのか?

 近年,ヒトの親子判定の際にDNA鑑定といった方法がよく用いられる。微生物の場合は,1980年代以降はバクテリアの同定に16S rRNA法が用いられてきた。この方法は16S rRNAがバクテリアに普遍的に存在し,種ごとに特有な遺伝子配列をもつことを利用して同定する方法である。
微生物の増殖が活発な期間(いわゆる対数増殖期)の細胞には,多くのリボソームが含まれている。16S rRNAもリボソームを構成する成分であるが,同じく多くのリボソームタンパクも合成される。そこで対数増殖期に合成されるタンパク質の種類(分子量)が異なることに注目して考案されたのが,MALDI-TOF/MSを用いた微生物の同定法(以下,MALDI法)である。MALDI法は,マススペクトルの形で検出したタンパク質を菌固有のフィンガープリント(指紋)としてデータベース化し,それとの指紋判定で微生物を同定する。

図―5 微生物の系統図

図5

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※(図-5)シスメックスビオメリュー社からの提供

■飲料の微生物事故について

 食品衛生法第六条で異物や微生物の混入は認められておらず,法の遵守の点や消費者に安全安心な商品を届ける立場からも飲料の微生物検査が重要なことはいうまでもない。一方で毎年のようにミネラルウォーターも含めた飲料の微生物事故による製品の回収が後を絶たないことは大変残念なことである。
では,なぜ飲料製品の微生物事故が防げないのであろうか? 一つは原料水や原料の管理に始まり,製造途中の工程,最終製品の充填工程などにおける工程管理の不具合であり,もう一つはこれをチェックする微生物検査体制の不備である。筆者の経験からいえば,製品回収につながるような微生物事故は,その兆候が早い段階で表われている場合が大部分である。多くの場合は,その兆候に気づいていないか,管理者がおざなりにしていたために事故に至った場合が大半である。
また飲料容器や販売形態の変化,さらには製造技術の変化により,従来は危害菌として取り扱ってこなかった菌を管理する必要が出てきた背景もある。コーヒーなどの飲料をホット販売するようになり,従来では考えていなかった高温性好気性菌や高温性嫌気性菌の管理が必要になったり,酸素を通さない缶・びん容器が主流の際は危害がほとんど確認されなかったが,酸素透過性をもつPETボトルの普及により,好酸性好気性の芽胞細菌であるAlicyclobacillus属の危害が確認されるようになった。また従来は熱間充填やレトルトにより製造していたために熱で充分に殺菌できていたが,アセプティック充填の普及により過酸化水素耐性菌や過酢酸耐性菌などの存在がわかり,新たな危害菌として管理をする必要が出てきた。

■MALDI法がもたらす品質管理上の利点,製品事故の未然防止

 飲料の製造は,上流は原料水,乳,果汁,糖,茶葉などの原料に始まり,濾過による除菌や加熱による殺菌工程を経て,最終的にはフィラー・キャッパーなどにおいて充填・密封されたのち製品として出荷される。飲料製造に携わっている技術者であれば,中間工程ならびに最終製品の微生物検査には,日々神経をとがらせているに違いない。いつもは無菌が維持されている工程や最終製品の集菌・培養試料からひとたび微生物が検出されれば,一刻も早い対応,つまりその微生物がどういった性質の微生物であるかをつきとめることが大変重要な作業となる。
1980年代以前は古典的な方法(コロニー・顕微鏡観察,グラム染色など)により菌の同定を行なっていた。1980年以降は,PCRにより増幅させた危害微生物固有の遺伝子を解析する方法や16S rRNAを分析する方法が主流になった。これらの方法は専門的な微生物の知識や前処理・分析・同定といった複雑で手間のかかる作業が要求されることから,より簡便で正確な方法が待ち望まれていた。コロニーとして充分な菌体量(ミリグラムレベル)が存在すれば結果が1〜2分程度で得られるMALDI法は利点が大きい。
たとえば,生ビール製品の出荷は旬単位で管理されており,製品で検出された微生物を迅速判定することで逆旬による出荷停止を回避できる可能性がある。また,飲料の熱間充填品でも微生物が検出された場合,出荷を保留している製品の出荷の可否判断を従来法に比べて圧倒的に短時間で行なうことができる。多くの場合,工場外倉庫を借用しており,迅速判定がこういった倉庫賃料の節約につながる可能性もある。また,将来的には,原料由来のAlicyclobacillus属のチェックとこれに応じた原料サプライヤーへの改善要求など,応用範囲拡大も期待できる。

■チルド製品での活用,未知の微生物との遭遇

 チルド製品(牛乳,ヨーグルト,野菜汁など)ではある程度の微生物の存在を前提として販売されている製品もあり,こういった製品では日常的に製品中の微生物を同定し,有害菌(低温増殖菌)が存在しないことを確認したうえで出荷・販売することが多い。また,毎年市場に投入される新製品の数は300を超えるが,消費者は以前はなかった新しいフレーバーを飲料に求めている。そのため飲料会社では,処方も含めて未知の果汁や糖,特に東南アジア・南米・アフリカなどの今まで使用されたことのない原料も使用するようになってきている。その際,未知の原料には今まで遭遇したことのない微生物が存在している可能性もあり,微生物の迅速同定は年々重要度を増している。

■分析機器の種類

 現在,微生物の同定に使用できる質量分析をベースにしたシステム・分析機器は,ブルカー社,島津製作所社,シスメックス・ビオメリュー社(以下,ビオメリュー社)の3社がある。この3社のマトリックス試薬や得られた微生物のマススペクトル,解析ソフトは全く異なるもので互換性はない。
ブルカー社は早くからシステムの市販を手がけてきており,島津製作所社はより学術研究分野に普及,ビオメリュー社は多くのスペクトルを含むデータベースが拡充されている。各社とも自社の得意分野(研究学術分野,医療・医薬・食品分野など)の強化に加えて領域拡大を意図しMALDI法の微生物データベースの構築に労力を注いでいる。利用者は,継続使用の際にはいずれか特定のシステムの使用が前提となり,分析機器の購入に際しては得意とする分野や領域の広さ・使い勝手等を充分吟味のうえ選定することが望ましい。

 

図―6 微生物分類同定分析装置 バイテック MS (シスメックス・ビオメリュー社)
バイテック MS – 微生物分類同定分析装置
引用画像

※(図-6)シスメックスビオメリュー社からの提供

図―7 BRUKER 微生物分類同定分析装置MALDI バイオタイパー

BRUKER 微生物分類同定分析装置MALDI バイオタイパー
引用画像

※(図-7)ブルカーダルトニクス社からの提供

■(独)製品評価技術基盤機構バイオテクノロジーセンター(NBRC)の取組み

 NBRC(NITE Biological Resource Center)は日本の政府外郭団体で,生物資源バンク,多様な生物の保存と保管を業務としている。NBRCは糸状菌,酵母,細菌,放線菌,微細藻類などの微生物,DNA材料として微生物ゲノム,微生物DNAクローンやヒト関連クローンの合計10万株を収集・保存し,基礎研究から産業利用まで幅広い利用に供している。
すでにいくつかの民間機関がMALDI法による菌の同定データを提供しているが,機関ごとに仕様が異なることは否めなかった。そこでNBRCでは,NBRC保存菌株のすでに得られている16S rRNAデータと新たに得たMALDI法データとをひも付けし,オンラインDBを準備することで,ユーザーに供与する菌株のMALDI-TOF/MSマススペクトルデータをあわせて供給するサービスの実現をめざしている。これにより,ユーザーは従来16S rRNAデータでしかできなかった菌株の同定が,MALDI法によるマススペクトルによっても同定できることになり,MALDI法の利用に拍車がかかるものと思われる。

※(図-8)コーガアイソトープ社からの提供

■分析代行サービス

 分析機器が高額なため,なかなか導入には踏み切れない企業も多いと思う。しかし国内では,コロニーを形成したシャーレを送付すれば,MALDI法により微生物を同定するいわゆる分析代行サービスを行なっている会社がある。テクノスルガ・ラボ社(静岡県静岡市)とコーガアイソトープ社(滋賀県甲賀市)の2社である。2社ともその他の様々な分析サービス(16S rRNA法など)とあわせてMALDI法によるサービスを行なっており,MALDI法ではシャーレ到着の日から1〜2日で同定情報を依頼主にフィードバックしている。スポットの分析依頼に際しては,代行サービスを行なっている会社と事前に充分なコミュニケーションを図ってから依頼することが望ましい。

■MALDI法の課題

 MALDI法の食品産業への展開はまだ始まったばかりであり,特にわれわれ飲料分野での微生物のマススペクトルのデータの拡充が望まれる。微生物事故の防止に限らず,微生物の同定が迅速になることによる効果は,今後いろいろと想定できる。
現在の飲料製造では原料由来や充填機近傍から製品に飛び込む微生物の全体像や個別の菌種をすべて同定できているわけではなく,むしろ環境に存在する微生物といった観点で見れば,ほとんど把握できていないといってもよい。
最近,盛んに行なわれている土壌環境微生物の同定(環境メタゲノミクス)などの結果によれば,培地上で生育する微生物は環境に存在する微生物のおよそ10%にも満たないとされている。飲料製造工程や充填室は,土壌などの自然環境よりははるかに微生物の種や量も少ない環境ではあるものの,未知の微生物の存在は品質管理担当者の心配のタネでもある。
このように同定の迅速化には,①培地での微生物のコロニーの形成能や取置き製品中での増殖能,②培地上または取置き製品中での微生物増殖の早期化,③コロニー形成または取置き製品中で増殖した微生物の早期同定,のそれぞれで改善が必要で,MALDI法は③の工程に対する寄与である。
古くから培地組成の検討により微生物の増殖の早期化などの改良が進められており,各プロセスの改良とMALDI法の普及とが同調してより迅速で高度な微生物検査体制の方向へ向かうことが望ましい。その結果として,PDCA(Plan,Do,Check,Act)サイクルのCの工程が早くなり,新たな工程改善,熱負荷減少による品質の改善などにつながっていくことを期待する。
(筆者:代表取締役・松田晃一)

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